ポーの一族の新作が出るということで、
喜びが抑えきれなくて復刻版を買ってしまった。
全巻買うのは気がひけたので最終巻の5巻だけ。
5巻は魔法使いに憧れてなれなかった男・オービンが出てくる巻だ。
中断の横顔のおじさんがオービン。
オービンは暗がりや木陰に潜む妖精や魔物の類が大好きで
深く愛し、いつもその存在を探している。
私も子供のころは図書館少女(毎日本を読むことが生きがいだが、文学少女というほど系統だって読書してはいない)のご多分にもれず
いつもそういう不思議の生き物たちを探していた。
でも最近はめっきり探していない。
当然である。くやしいけれどもう24歳だ。
探さなくなったこと自体は、それはさすがに仕方ない。探してなくてよかった。
が、妖精やお化け、九十九神、そういった神秘の世界の小動物に感じていたときめきが
いつのまにか色あせていたのには驚いた。
しばらく存在すらを忘れて、意識の端にものぼらせていなかった。
小さい頃そういったものに抱いていた気持ちは
ときめきというよりどちらかというと期待だったんだろう。
日常をもっと胸踊るものに変えてくれるのではないかという期待だ。
しかし今は、日常に変化を与えるのに一番てっとり早く頼りになるのは
自分の頭と肉体と心だとよく知っている。
だから、さんざ探しても姿を現してくれなかった不思議の存在たちに期待するよりは
やはり自分自身にどうにかしてもらおうと思ってしまう。
もはや24歳になると、そうやって自分の目に入らないものを
徐々に諦めて存在しない、していなくても大丈夫なものだと考え始めている。
こないだ五反田を歩いている時に、ふとせつなくなり
どうしても森田童子の『ぼくたちの失敗』が聴きたくなった。
今月は残りのギガが少ないからYouTubeの動画はダメだ。
iTunesで買おうとしたが、なんと森田童子はiTunesアーティストには
登録されていないのである。
検索したら『ぼくたちの失敗』オルゴールバージョンしか出てこなかった。
検索にのぼらないと、急に気持ちがしぼむ。
まあ無理に聴かなくてもいいかという気持ちになる。
そして適当に手持ちの曲を聴いて、なんとなく気分を晴らす。
本当は今の気持ちを消化してくれるのは『ぼくたちの失敗』が一番だとわかっているのに
なんでも代わりになるような気になって。
こうして流行りの検察ツールに引っかからなくなっていく往年のスターが
徐々にわたしのなかでは手の届かない存在になる。
いなくてもなんとかやっていけるような気がしてくる。妖精になっていく。
そして多分これは私のなかだけでなく
電車で隣に座った背広のおじさんのなかでも起こっている。
色んな素晴らしい作品を残した人たち。
彼らの作品より、今日の自分の方が頼りになるような気持ちになる。
でもそれは幻想だ。自分で全部はこなせない。
こなせなくて取りこぼしたものに残る悔しさをなぐさめてくれるのは
やっぱり『ぼくたちの失敗』なのだ。
ネットが世間に出てきてしばらくは冷たい時代の象徴のような存在だったけれど
日本中の思念が出たり入ったりするこの場所は
これから途方もない時間をかけて
いつしか現代の新しく生まれた妖精のメッカになるんじゃなかろうかと思う。
そう思うと少しだけオービンの気持ちに戻れた。
それから1巻から欲しくなった。
漫画のいいところは、1冊もっているといつまでも読み返せるので
忘れる暇がないとこだ。
それで考えると一回しか観られない演劇は
もう絶望的に生まれたそばから妖精になっていく。
だからみんな取り憑かれちゃうのかもね。
あうら
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茶番主義!第6回公演
『異国の心臓 ー反芻ー』
脚本/演出 : 山科有於良
出演 : 岡本拓朗 川原茜 山田了子 山科有於良
6月3日(金)〜6月5日(日)全6回公演
http://chabanism.chakin.com/special/ikoku_re/
会場:中野スタジオあくとれ(中野駅南口より徒歩3分)
あなたの心臓はもうすぐあたしのもの。
夏と少女とカニバリズム。現代を舞台としたダークファンタジー。
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