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CHABANISM!BLOG

劇団茶番主義!(ちゃばにずむ!)のブログ。 次回公演は2016年6月3〜5日「異国の心臓−反芻−」@中野スタジオあくとれ            ★HP http://chabanism.chakin.com/ ★twitter @chabanism2013

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森田童子とiTunes

ポーの一族の新作が出るということで、
喜びが抑えきれなくて復刻版を買ってしまった。

全巻買うのは気がひけたので最終巻の5巻だけ。
5巻は魔法使いに憧れてなれなかった男・オービンが出てくる巻だ。


中断の横顔のおじさんがオービン。

オービンは暗がりや木陰に潜む妖精や魔物の類が大好きで
深く愛し、いつもその存在を探している。
私も子供のころは図書館少女(毎日本を読むことが生きがいだが、文学少女というほど系統だって読書してはいない)のご多分にもれず
いつもそういう不思議の生き物たちを探していた。
でも最近はめっきり探していない。

当然である。くやしいけれどもう24歳だ。
探さなくなったこと自体は、それはさすがに仕方ない。探してなくてよかった。
が、妖精やお化け、九十九神、そういった神秘の世界の小動物に感じていたときめきが
いつのまにか色あせていたのには驚いた。
しばらく存在すらを忘れて、意識の端にものぼらせていなかった。

小さい頃そういったものに抱いていた気持ちは
ときめきというよりどちらかというと期待だったんだろう。

日常をもっと胸踊るものに変えてくれるのではないかという期待だ。

しかし今は、日常に変化を与えるのに一番てっとり早く頼りになるのは
自分の頭と肉体と心だとよく知っている。
だから、さんざ探しても姿を現してくれなかった不思議の存在たちに期待するよりは
やはり自分自身にどうにかしてもらおうと思ってしまう。

もはや24歳になると、そうやって自分の目に入らないものを
徐々に諦めて存在しない、していなくても大丈夫なものだと考え始めている。

こないだ五反田を歩いている時に、ふとせつなくなり
どうしても森田童子の『ぼくたちの失敗』が聴きたくなった。

今月は残りのギガが少ないからYouTubeの動画はダメだ。
iTunesで買おうとしたが、なんと森田童子はiTunesアーティストには
登録されていないのである。
検索したら『ぼくたちの失敗』オルゴールバージョンしか出てこなかった。

検索にのぼらないと、急に気持ちがしぼむ。
まあ無理に聴かなくてもいいかという気持ちになる。
そして適当に手持ちの曲を聴いて、なんとなく気分を晴らす。

本当は今の気持ちを消化してくれるのは『ぼくたちの失敗』が一番だとわかっているのに
なんでも代わりになるような気になって。

こうして流行りの検察ツールに引っかからなくなっていく往年のスターが
徐々にわたしのなかでは手の届かない存在になる。
いなくてもなんとかやっていけるような気がしてくる。妖精になっていく。
そして多分これは私のなかだけでなく
電車で隣に座った背広のおじさんのなかでも起こっている。
色んな素晴らしい作品を残した人たち。
彼らの作品より、今日の自分の方が頼りになるような気持ちになる。

でもそれは幻想だ。自分で全部はこなせない。
こなせなくて取りこぼしたものに残る悔しさをなぐさめてくれるのは
やっぱり『ぼくたちの失敗』なのだ。

ネットが世間に出てきてしばらくは冷たい時代の象徴のような存在だったけれど
日本中の思念が出たり入ったりするこの場所は
これから途方もない時間をかけて
いつしか現代の新しく生まれた妖精のメッカになるんじゃなかろうかと思う。
そう思うと少しだけオービンの気持ちに戻れた。
それから1巻から欲しくなった。
  
漫画のいいところは、1冊もっているといつまでも読み返せるので
忘れる暇がないとこだ。

それで考えると一回しか観られない演劇は
もう絶望的に生まれたそばから妖精になっていく。
だからみんな取り憑かれちゃうのかもね。

あうら

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茶番主義!第6回公演
『異国の心臓 ー反芻ー』

脚本/演出 :   山科有於良
 出演        :    岡本拓朗 川原茜 山田了子 山科有於良

6月3日(金)〜6月5日(日)全6回公演
http://chabanism.chakin.com/special/ikoku_re/

会場:中野スタジオあくとれ(中野駅南口より徒歩3分)

あなたの心臓はもうすぐあたしのもの。
夏と少女とカニバリズム。現代を舞台としたダークファンタジー。
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はじまり

茶番主義!第6回公演『異国の心臓 ー反芻ー』。
稽古も半ばを過ぎ、ぼちぼち通しに手が届きます。
佳境の一歩手前です。

わたしは今回、脚本と演出と出演と映像を作る人をやっています。
なんだかスタッフロールを作るとやたら名前が現れて
笑う犬の冒険の大嵐浩太郎のようですが
演出は演出助手という名の演技指導・山田了子と共同演出のようなものだし
出演は最も出番の少ない、友情出演のような役です。
そしてなにより再演なので、脚本は加筆と再構成だけ。
0→1ではなく1→100の作業は決定的な壁にぶち当たっていきづまる、
ということは起きません。

『異国の心臓 ー反芻ー』のもとになった無印 異国の心臓を書いたのは
5年前の19歳の時。
初めて書いた長編戯曲で
人に自分の作品を見せて感想をもらえる状態になったのも初めてでした。
誉められても、欠点を指摘されてもただただ胸がどきどきしていた頃。
要するに初心真っ只中の甘い思い出がたくさんある作品です。

わずか70名ほどいた当時の観客の方はどこが変わったか探してみてください。
先に答えの一部を言っておくと
登場人物たちがだいぶ人間らしくなりました。

無印『異国の心臓』では夫婦がデキ上がってないし
姉妹の関係は干上がっているし
人が死んだ/殺したあとの気持ちの立て直りの速さは少年探偵団とどっこいです。

無印版のあまりにサイコパスっぷりに5年という年月を感じます。
5年のうちに出会った人、触ったことの分だけ作品に血が通いました。

無印版が無色透明だとしたら、今回はラズベリー色か、レモンイエローか、
ともかく暖色系の色気がついたというところでしょうか。
かつて「透明で綺麗な話でよかった」とアンケートに書いてくださった方には
願わくば今回新しくついた「色」を気に入って欲しい、と思います。

無垢なものは最高ですが、無垢のまま良さを押し通すのは難しい。
それはごく一部のそういう作品が向いている人のもので
私や茶番!はそういった人たちではないし
あんまりなりたくないからです。

ではどんなかんじにしたいのか。
それが一言で言えるなら演劇なんかやってないわ、というずるい回答で閉じたいと思います。
眠くなると起きてるところに数秒間の短い夢を挟むように見るようになるんですが
今、教室の斜め前の席が引田天功さんだった、という絵が見えたからです。
目が冴えて眠れないから書いてたんですが
いいかんじにほぐれてきたので、もう寝ます。おやすみなさい。

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小屋入りしました/穴を掘る人・午前

今日は楽しい小屋入りの日です。

美術も衣装も音響も照明も映像も、やっとあるべき場所で一同に会します。
劇場には観にいくだけで心は高鳴りますが、自分がやる側になるとたまらないですね。
何度やっても、どんな緊迫した状況でも、心躍ります。

劇場に入ると役者の演技が変わります。
お気に入りの服を着ている日は調子がよくなるのを、何倍にも濃くしたようなものです。

今回のお話の主人公の一人、”午前”は、故郷の街が滅んでから
9年間ずっと穴の中でオパールを掘って暮らしている人間です。

9年間、来る日も来る日も、ただオパールを掘ることだけを考えて生きています。
そうやって同じことをずっとやっている人は凄い人です。
ですが確実に、恐ろしい人でもあります。そして弱い人でもあります。
まして女性なので、その恐ろしさは余計に美く光り、弱さは強烈な危うさを発します。

川原茜は、茶番の劇ではいつも狂言回しのミステリアスな役をやってもらうことが多いですが
今回はむしろ運命に翻弄される側、狂言回しとは逆の役です。

そんな脆くて怖い茜の中に、小屋入りして、美術の中で衣装を纏うと
いつもの怪しい美しさが宿ってきました。

いいとこどりです。

まだ小屋入りして1日目。
残り2日でどんな午前をお届けできるか楽しみです。

ではでは。


階段で何かに気がつく川原


山科有於良

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キャラクター紹介① フォトグラファー・昭五

残暑らしい暑さになってきましたね。山科です。

二人芝居の片割れ、写真の左の方、
真山正臣が演じる役は昭五という名前です。
自称新米フォトグラファーで、夢と希望だけ食べて生きているタイプの人です。
作中、いろんな事件や惨劇があるのですが
彼は何が起こってもおかまいなしにぱしゃぱしゃ撮り続けます。
女の子が泣いていようが、人が死のうが、それがシャッターチャンスである限り彼の指はとまりません。


すごくうっとおしいですね。

でも、うっとおしいけどなぜか憎めない…
なんかこの人ならこんなでも仕方がない気がしてくる…
あぁでもやっぱりこの人嫌だ……
昭五はそんな人です。
顔と嗜好に似合わず意外と思慮深い真山くん。
うまいこと昭五までたどり着いてくれることを願い、日々稽古に励んでいます。
次回は午前!

あうら

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恐怖のパクパク

さっき肩甲骨のあたりを蚊に刺されました。山科です。

稽古をしていると、自分で書いた脚本なのに
「あ!このセリフはこんな意味があったんだ!」と気がつく瞬間があります。

いわゆる「作者の意図」なんてたよりないもので
AのシーンからBのシーンへ続く過程のつなぎとして書いたところが
話の核心を象徴する重要なシーンになっていることもしばしばです。

ところでみなさん「ポビーとディンガン」というお話をご存知でしょうか。
ベン・ライスというイギリス人の作家が書いた小説です。
オーストラリアにあるオパール鉱山の街・ライトニングリッジに住む兄妹の話です。
妹のケリーアンには架空の友達「ポビー」と「ディンガン」がいて、
ケリーアンはこの2人と家族以外には心を開けません。
が、あるきっかけでポビーとディンガンが行方不明になってしまい
2人を探し出すために兄が色々と手を尽くす、という話です。

あらすじはまったく似ていませんが、モチーフとして明日はparadiseの下敷きになっています。

小学生の時図書室でみつけて読んだ本。
ファンタジーじゃないけれど日常の中に不思議なことが当然のように存在する、
みたいなシュールさがたまらなくて当時一人で大ヒットしました。

今度はオパール鉱山の話にしようと思ってから読み返してみると
小学生のときにはオパールの輝きやオーストラリアの太陽やケリーアンの素敵さに気を取られて
気がつかなかった話の意図のようなものが見えてきて、新しい別の小説を読んだ気分でした。

それはそれで楽しい読み方なんですが、やっぱり最初に読んだ時のキラキラ感への未練が残ります。
大人になったから純粋な読みができなくなったのかと思いましたが、それよりはむしろ
約10年の読み返さなかった期間を経て、自分の中の物語として消化されきってしまい
「どこかで起こった素敵な話」から「わたしの話」に変わった感覚があります。

そんなわけでモチーフにしましたといいやすくなりました。
新しい脚本を書くときに、映画や小説や音楽や漫画や論文やらを
色々なところから集めてきて噛み砕いて参考にしていきます。
誰でもそうだと思いますが、それらを見て、聴いて、読んでいる時
ちゃんと噛み砕ききれているか、パクリになっていないか、という不安はいつも付き纏います。
でも「ポビーと〜」に関してはもう大丈夫。安心して人に勧められます。

ちなみにタイトルの「明日はparadise」は野菜のアスパラガスのパクリです。
スーパーでアスパラガスを買っている時
「アスパラって伸ばすと明日はパラダイスだな……」
と思って思いつきました。

長くなったのでこのへんで閉じます。
最後にSHAKALABBITSが「ポビーとディンガン」という曲を作っていてうれしかったので貼っておきます。



やましな

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